見えているのは蜃気楼。そこにたどり着くのかは私も知らない 虐待は魂の殺人



私は昔の事を忘れてしまっている。と、書くと、「記憶の欠如?記憶の欠落?」とか勘違いする人がいると思うので、説明する。

私はここ数年の間に、父親からの暴言、身体的暴力をよ~く思い出して紙に書き殴り続け、シュレッダーで粉砕するという事をし続けた。
同時に、実母が私にやってきたことに対する猛烈な恨みや怒りや悲しみや絶望や空虚感等々を、やはり紙に書き続けてシュレッダーにかけ続けた。

虐待されていた時の自分の感情を紙に書き殴る時は、もちろん人に見せるものではないし、自分でも再度読む事が出来ないほどであったから、シュレッダーで粉砕し続けたのだが、書きなぐるとスッキリし、シュレッダーで粉砕すると、その時の感情が消えてしまったような昇華してしまった感じでかなり気が楽になった。

ある時、「そういえば最近書いていないな」と思った。書くことが無くなったのだ。感情をすべて吐き出してしまったという爽快感しか残っていなかった。数年間、書いては粉砕し続けただけの事である。

相手がカウンセラーだと、カウンセラーの反応や顔色を見て、曖昧に伝えようとしてしまい無理であった私は、そういう場にいる事自体が無理だったので利用しなかったし、カウンセラーに逆転移されても、私はもう傷つきたくないがために避けた。下手をすると私がカウンセラーに転移してしまい、それをカウンセラーが上手く処理できない事が多く、やはりカウンセラーは利用しないと決めていた。
それにここは田舎なので、カウンセラーもショボい。というか、島流しに遭ったのではないかと思うような人しかいなかったので一瞬で心が拒否していただけなのだが・・・。
とりあえず、カウンセラーもニンゲンンだから、その時点でギブアップ。

不思議なもので、全ての感情を吐き出してしまうと、記憶はあるし感情も伴って思い出す事も出来るのだが、過去の暴力に対する嫌悪感や虐待加害者に対する感情も同時に消えてしまった。


確かに私は魂を殺された。その事実さえも自分の物である。決して他人の物ではない。まして、フツウにニンゲンとして育てられた人には到底できないものである。出来たとしてもフツウの観点から数値的に表現するか、被虐待児・被虐待サバイバーの言葉や行動や態度を他人事として観察し、それを文章にまとめるぐらいが落ちである。教科書はそういう人が書いていることが多い。
そして、それらの教科書の抜粋を使ってモドキカウンセリングモドキが、コーチング?(練習補佐業かなんか?)をする人が多いのではないかと思う。(一切関与したくないので行っていない)詐欺まがいだな。


確かに、私の魂は傷だらけである。時々傷に痛みが走る事もある。まだまだ怖くて怯え、出来ない事も多いが、今、この時を生きているという感覚になってから、今できることを懸命にやり始め、そういう事を積み重ねていく間に傷つけられた傷がある事さえも忘れてしまう時間という物が出てき始めている。正直驚いている。

私が実母の下女・奴隷・ごみ入れ・吐き出し口・サンドバッグ・ピエロ・傀儡であった記憶が頭をもたげる事はあるが、「それは今ここで起こっている事ではない」といった感じになっている。
そのうち、実母に似た行動をとるニンゲンに出会った時にその記憶が自分を助ける可能性は高い。私は以前、毒を持ったニンゲン・人のエネルギーを吸い自分を肥やして生きている死んだ人間、病的に自己中心的な人間を嗅ぎ分ける能力だけは決して低くないだろうと思う。

実際、今の状態になったら、本当に「毒気のある人・エネルギーバンパイア・病的な自己中(自己愛性人格障害@心理学用語)」や、「こいつ危ない」という勘は鋭いと感じてスルーか無視するか、はっきり堂々と断るようになったからなのか、最近出会う人、村の人達、日本には少ない友人、多くの知人は、私に対して「かわったね~」と言う。何も変わっていないのだが。取り合えず生活も服もいつもの物だ。ということは、私の表情か何かが変化したという事なのか、雰囲気なのか、言葉の選び方なのか・・・・でも私は、何も変わっていない。気持ちは楽になったけれど。
海外の友人達は、もっと具体的に言ってくれるから助かる。「とても幸せそうな笑顔だよ~ん」とか「楽しそうだね!」。「笑顔がステキ!」とか、まあ、いろいろだ。

自分は変わっていないと思うのだが、確かにコールタールのような、ドロドロの感情が消えてしまった。

昔のことは覚えているが、一度出して整理して、全部を見て整理して入れなおしただけだったのだが、忘れたと言えるぐらいにはなってきている。記憶の断片が出てきても、入れる場所が決まっているので、仕舞ってしまえば終了である。

これだけは、時々起る事もあるかもしれないが、気が付いたら、思い出さなくなって数年たっていたりするとよいと思う。

こちらから能動的に取り出す時は、必要な時だから、その時にまたしまった場所を思い出せばいいのではないかと思う。


パンドラの箱の中には恐ろしい物が沢山入っているものだ。でも、それらが、誰かの助けになるかもしれないものならば、希望として取り出すことは可能だと考えている。

忌まわしい記憶を忘れたというよりも、それらの記憶を記憶野の片隅であまり目につかない所に移動させただけなのかもしれない。